History


デヘラー社の創立

 デヘラー社が西ドイツ(当時)のFreienohlにヨットの造船所を設立したのは 1963年である。当時は「軽量かつ強度に優れたFRP艇を安価に提供できれば、 プロダクションボート界を制することができる」と言われた時代である。 このFRPにいち早く目をつけたのが、 オランダに本拠を構えるヨットデザイナー兼ビルダーのVan de Stadtであった。 彼はかねてFRP製造で優れた技術を持つデヘラー社に関心を持っていたので、 社長のWilli Dehlerを口説き、ヨット界への進出を強く働きかけた。


伝説のベストセラー、ヴァリアンタ

 Van de StadtはFRP艇に大きは夢を抱いていた。 それは手軽にどこへでも運べるトレーラブルボートである。 頑丈で軽いハル、そしてウォーターバラスト併用によるスタビリティーの確保。 マストは当然ながら起倒式とし、昇降式のリフティングキールも備える。 艇の全長は7m以内。大衆が容易に買え、気軽に繰り、スピードを楽しめる。 こんな理想のプロダクションヨットの製造をFRPのデヘラー社に求めていたのだ。
 Van de StadtとWilli Dehlerの二人三脚による、 夢を求めての3年にわたる苦闘がついに実を結ぶ時が来た。 2人の理想を凝縮したヴァリアンタは、 1966年のハンブルクボートショーに出品されて爆発的な人気を呼んだ。 まさにヴァリアンタ大ヒットの幕明けであった。
 翌1967年、デヘラー社の年商は180万マルク(当時で2億3千万円余)となった。 わずか15人の社員で、 45人のヴァンデスュタット造船所と同じ年商を記録したのである。 生産するのはヴァリアンタただ1艇種。 1/3の人数で当時の平均的ヨット工場の売り上げを達成したのだ。 いかにヴァリアンタが当時のヨットマンにアピールしたか、 そしていかにFRPが効率よく建造できるかがわかる事実である。
 記録によれば「わずかの間に4,500艇が進水した」とある。 デヘラー社のヴァリアンタは、いわばアップルコンピュータのアップルⅡであり、 ホンダ技研のスーパーカブであった。
 ヴァリアンタの成功で勢いづいたデヘラー社は、 6年後の1973年には生みの親でもあるヴァンデスュタット造船所を買収した。 同年、年商1,200万マルク(当時で約16億円)をマークして、 中部ヨーロッパ最大級のビルダーに成長した。 一方のヴァンデスュタットは、これを機にデザインと事業の2足のワラジに見切りをつけ、 設計一筋の世界に転身したのである。







varianta

 デヘラー社初のベストセラー、  Varianta

db2

 3/4トンワールドチャンピオン1984、 db2 "Positron"

レース界にも華々しく登場

 デヘラー社はヴァリアンタの成功をバネにレース界へも進出した。 1969年から1980年にかけて、オプティマ、デランタ76、470(ディンギー)、 オプティマ92、db1と、毎年のように新製品を発表していった。
 さらに、1976年キングストンのオリンピックでは、 デヘラー製の470がゴールドメダルを獲得。 翌年発表されたスプリンタスポーツ(全長7.3m)は、 ワンデザインクラスでの独特な活動が認められ、 1980年にORCのオフショア・ワンデザインクラスとなった。
 そして、レース艇での真骨頂はdb1の誕生である。 db1は当初スプリンタスポーツと同じコンセプトで出発した。 しかしワンデザインクラスとしてデビューしたものの、 IORレースでの予想を上回る活躍により、 不本意(?)ながらIORレーサーに変身を遂げ、 その血筋はdb2に引き継がれた。
 1980年のデビュー戦であるノースシー・レースウイークの 全レース1~3位独占を皮切りに、1982年、1984年のSORCクラス制覇、 1984年の3/4トンワールド圧勝(1,2,3,5,8位) などにその実力をいかんなく見せつけ、 このクラスでは右に出るものなしのチャンピオンとして世界に名をはせた。




ドイツ博

 1984年に東京晴海で開催されたドイツ博での db2











デヘラーヨット、日本に上陸

 1984年、東京・晴海でドイツ博が開催され、そこにdb2が出品された。 これがデヘラーヨットの日本での第一号艇である。 以後、日本での販売は135Eが担当することとなった。
 これ以後の歴史は日本の皆様よくご存知のとおりである。 1984年db2のクルージングタイプであるデヘラー34が発売され、 瞬く間にベストセラーとなった。 この艇種は日本でもよく売れて販売総数24艇を数えた。 以後、デヘラー31,22,372,38,25,28と続いた。
 1988年にデヘラー36CWSが発売された。このモデルでデヘラー社は セントラルウンチシステムと称する独特のシステムを開発した。 これはコックピットの中心に大型の電動ウンチを設置して、 それにほとんどすべてのロープを集中させるという画期的なシステムであった。 これも又ベストセラーとなった。 このシステムは日本でも好評を博して、 販売総数27艇(36CWSと37CWSの合計)を記録した。 以後、デヘラー36db,37CWS,39CWS,43CWS, 35CWSと続いた。

 1995年、創業者のWilli Dehlerが退任した。 これまでデヘラーヨットのデザインは、 ほとんどすべてをVan de Stadtが担当してきたが、 以後Judel/Vrolijkと一部Simonis/Voogdが担当することとなった。
 建造艇については、以後前後してデヘラー41DS,41CR,33,33COMP,29, 39,36,47,44SV,34SV,60SV,32,35SV,45SV,41,38,46,42,34 と続き現在に至っている。 この間数々の賞にも恵まれた。

デヘラー47:2004年ヨーロッパヨットオブザイヤー獲得、
デヘラー44:2007年ヨーロッパヨットオブザイヤー獲得、
デヘラー38:2014年ヨーロッパヨットオブザイヤー獲得、
デヘラー46:2015年同ノミネート、
デヘラー34:2017年同ノミネート、
と、ヨットオブザイヤーの常連を誇っている。

 2013年、デヘラー社は創業50周年を迎えた。 創業以来の建造艇種は60種以上、建造艇数は22,000以上を数える。 資本関係については、2009年にHanse Groupの傘下に入り、現在に至っている。